個人で大きなお金を稼ぐことができる時代だからこそ考えたい"お金への考え方"
2017年12月にビットコインの価格が200万円を突破し、多くの「億り人」が誕生しました。
(※億り人:仮想通貨投資の高騰で資産が1億円を超えた人のこと)
少し前ではインターネットビジネスが興隆し、ヒルズ族が世間を騒がせました。
こういった世間の流れに対して、私は別にマイナスな印象を持っているというわけではありません。
むしろ、その逆。
会社で給料をもらう以外に個人がお金を稼げる時代になったことで、生き方に選択肢が増えたという意味でプラスに捉えています。
会社に雇われる選択肢以外にお金を稼ぐことができる。
その結果、会社に拘束されていた時間が解放され、各々が時間を得て、好きなこと、やりたいことができるようになる。
そういう意味でも、仮想通貨投資やインターネットビジネスを「怪しい」の一択で切り捨てるのではなく、実際に行動してみるのが一番でしょう
特に、会社の愚痴とかお金がないことでグダグダ文句を言っている人は、その現状を変えるために一歩でも行動した方がいいと心の底から思っています。
文句をいうだけなら簡単。
そんなの中学生でもできる。
現状に不満があるなら、それを打破すべく行動していくべきでしょう。
とはいえ、お金を稼げるようになった個人は逆に、その"使い方"をよく考える必要があるのではないでしょうか。
特に仮想通貨に投資をしていて一気に「億」や「数千万」という大金を手にしてしまった人。
大金を得た人の中には仮想通貨で生きていくと意気揚々に会社をやめてしまった人も見かけますが、いつまでもこのバブル状態が続くわけではないことを自覚しておくべきでしょう。
そして、そのお金を何に使うのか。
その使い道でその人の真価が問われるのではないか、と私は思います。
かと言って、自分が崇高な使い方をできるわけではないのですが、パッと出てきたお金にはそれだけの注意が必要となるということ。
もちろん、手にしたお金は自分のものであるから使い方は自由。
貯金するでもよし。
好きなものを買いまくるもよし。
夜の街で豪遊するもよし。
事業投資するのもよし。
資産運用に回してさらに資金を増やすもよし。
なんでもいいのです。
ただ、その中でも私には「お金に対して持っておきたいある考え方」があります。
これは三国紀房さんが描いた漫画のインベスターZで、主人公の財前が話していた一言。
・・・
・・・
・・・たかが、お金。
そう、いくらお金を持っていたとしても、「たかがお金」だと私は思うのです。
お金は大事だ、でも、たかがお金。
確かに、お金があることで余裕が生まれるし、好きなことができるし、好きなものも買うことができる。
この世の悩みのほとんどはお金で解決できるものばかりだとも言われています。
そういう意味では、お金は大事でしょう。
もちろん、私自身もお金は大事だと思っているし、お金があることで今の楽しい毎日があることを自覚しているつもりです。
でも、人生を幸せに生きていく上で、お金で買える幸せなんて「たかが」レベルの幸せでしかないと思うのです。
お金では、高校の文化祭を達成させた時の充足感を買うことはできません。
お金では、愛する女性の心を買うことはできません。
(もし手に入ったとしても、あなたではなくお金を愛されているのだ。)
お金では、大きな事業やプロジェクトをチームで達成した時の満足感を買うことはできません。
お金では、笑顔の子どもたちに囲まれた幸せな毎日を買うことはできません。
結局、何が言いたいのかというと、お金というのは「生きていく、生活に余裕を持つ」という意味では重要だが、「大きな幸せ」という意味では"たかが"程度の重要性しかないのではないでしょうか。
人が幸せに感じる時は、絶対に「人」がいる。
その「人」はお金で買うことはできないと思うのです。
だから、「たかがお金」なのである。
もちろん、生活に困るレベルでお金がないのであれば、間違いなく金を稼ぐために努力すべきでしょう。
今の時代では個人でお金を稼ぐ手段なんて数え切れないほど存在しているため、努力次第で経済的な不安は解決することができます。
その時です。
我々が考えなければならないのは。
お金を稼ぐことに楽しさを見出して、ドンドン稼いでいくのも1つの選択肢。
さっきも話したように、豪遊や好きなものを買いまくったり、遊びまくってもいいと思います。
それは各々の自由だから。
それでも、お金に支配される人生にはなって欲しくはない。
だからこそ、「たかがお金」という考えを頭の隅っこにでも持っておき、自分が人生を歩む上での1つの選択肢として欲しいのです。
偉そうなことを話していますが、私もまだまだヒヨッコ。
ただ、個人でお金を稼げるようになったからこそ、その先にあるものをしっかり見つめて生きていきたいものですね。
なかなか物議をかもしそうな内容を書いてしまいましたが、こんな時代だからこそ、改めて考える必要があると思うのです。